08.03.21~        メイツからNPO法人BalletNoahへのあゆみ vol.Ⅷ
1998年12月.22日 高崎新里中央小学校    第8回メイツ公演 “バレエ教室”

 バレエの華やかさと厳しさ、優しさ、楽しさが観客の一人である私の日頃磨耗していた五感に刺激を与えてくれました。
きっとこのときの生徒たちも五感を十分に揺すぶられ、よい思い出になっているのではないかと思っています。   林田 きみゑ
 
     ▼コッペリアより                                ▼「どうでしたか?」「おじいさんがとってもかわいそうだった」                   
               ▼ザ・ジョップリン                                                 ▼レッスン風景

表紙写真館

撮 影 : 林 田 きみゑ
エピソード:瀬 山 紀 子
      08.02.21~         メイツからNPO法人BalletNoahへのあゆみ vol.Ⅷ
1998年.9月.19日 高崎市文化会館
  
第7回メイツ公演 “バレエの夕べ”  ~珠玉のクラシックからモダンタンゴまで~
 今から10年前に行った、この公演の少し前からコンテンポラリーへのアプローチをはじめておりましたが 、作品として発表した第一回の舞台でした。
 当時にしてみれば斬新なテーマで大人の作品に取り組んだように思います。反響もさまざまでした。
 ここから始まった私共の取り組みも、すこしづつではありますが成果があがってきているように思います。
 クラシックを基本におきながら、コンテンポラリーも学んでいくというスタイルも、すこしづつあたりまえのように受け入れていただけるようになりました。
      思えば毎日の暮らしも、現実と向き合いながらロマンの世界に魂の安らぎを求める繰り返しです。
      両極端のようですが、行ったりきたりをバランスをとりながら追求して参りたいと思っています。 
                                                   瀬山 紀子 
          
     ▼タンゴピアソラ                                                  ▼ドン・キホーテより
               ▼タンゴピアソラ                             ▼ひとりぼっちのチャップリン
      08.01.23~        メイツからNPO法人BalletNoahへのあゆみ vol.Ⅶ
写真は1998年6月20日スタジオF 〔メイツ第6回公演〕のもの。
以下 堀口 房子先生(スタジオF:埼玉県羽生市)のお話をプログラムより抜粋
         メイツの母体、高崎バレエスタヂオの瀬山紀子先生は、私にバレエの技術の有り様を示し
         その芸術性への道を見せてくださった方です。この公演には、尊敬する瀬山先生のメイツを
         お招きし、スタジオFの生徒のうち6名も参加というかたちで公演を開催できたことを大変うれしく
         感じております。
        
     ▼エチュードコンテンポラリーより                    ▼ジャズ組曲                               ▼ドン・キホーテより(小渕博美先生)                  ▼ドン・キホーテより(瀬山亜津咲先生)
2007.12.20~    メイツからNPO法人 Ballet Noah へのあゆみ Vol.Ⅵ

1997.12.7  高崎市中央公民館 

≪高崎子ども劇場バレエってどんなもの?≫
小さな小さな会場でした!。照明は床に置いた投光器を使用し、
スタヂオのOBや大きい生徒がスタッフの応援に駆けつけ
それぞれの持ち場でスイッチを入れたり切ったりかたずけたり...。
あまりよい条件ではなかったにもかかわらず楽しく熱いパフォーマンスでした。

ご挨拶する瀬山紀子先生 小渕博美先生
ジョップリンで楽しく! 瀬山亜津咲先生によるバレエのマイム

1997.12.6  高崎西小学校体育館にて   高崎西小学校PTAセミナー   
                               《親子で楽しむバレエ》

             

▼開演準備 瀬山紀子先生とゲストの大前雅信先生の打ち合わせ
        向かって右で作業しているのは今も衣装を縫ってくださっている根岸弘子さんです。

メイツからNPO法人 BalletNoahへのあゆみ vol.Ⅴ

2007.12.03~

(左 ザ・ジョップリン 右 フナーレ)

▼パドカトル

1997.5.31(土) アートビルスタヂオ2F 

ミニスタヂオコンサート
バレエの夕べ”
大人クラスが誕生したアートビルスタヂオで
お茶と手作りケーキ付の楽しいコンサートでした。
メイツからNPO法人BalletNoahへのあゆみ vol.Ⅳ

2007.10.23~

2007.9.21~

「エスメラルダとカジモド」より 瀬山亜津咲
「エチュード・コンテンポラリー」より小渕博美 
写真説明:「パ・ド・カトル」よりメイツメンバー
      第2回メイツ公演  1997.5.26   高崎市文化会館 
        ~ 古典から現代作品まで、
           自主公演からボランティアコンサートまで~ 

メイツからNPO法人BalletNoahへのあゆみ vol.Ⅲ

メイツからNPO法人BalletNoahへのあゆみ vol.Ⅱ

2007.8.20~

メイツ第一回公演、1996年9月7日 於:片品村文化センター
左上)コッペリウス・大前 雅信先生 スワニルダ・瀬山亜津咲  右上)福島 あや 下)フィナーレ
※片品村らしい水芭蕉の緞帳ですね
1989年に“メイツ”という名称でスタヂオをとびだした活動。2001年より名称を“Ballet Noahぐんま”と改め、さらに2004年7月に「バレエダンスの技術向上、及びバレエダンスの普及啓発等を目的とする」、NPO法人Ballet Noahへと進展してまいりました。これまでの公演をフォトメモリーでお楽しみ頂ければ幸いです
<“メイツ”結成に至るまでのこと>~文章は19回発表会のプログラムより引用いたしました。
1989年の冬、赤城の未来劇場に於て、学童保育所の子供さんたちを対象に“ピノキオ”を上演しました。コンクリートの床にコンパネ(厚いベニヤ板)をのせ、リノリュームを敷き、ホリゾント幕も緞帳も無い(未来劇場は実験劇場的な空間の建物)会場で場面転換の多い“ピノキオ”を上演するには別のアイデイアが必要で、人形劇団みつばちの高梨さんと未来劇場側のスタッフに沢山のヒントを頂きました。まだ中学生だった小渕博美、瀬山亜津咲、小学生だった荻野千絵等が活躍し、おかげで公演は大成功でした。
 いかにも手作りのステージ、マイナスをプラスに変えることの充実感、そして座布団に座って食い入る様に見て下さった子供さんたちの瞳、何よりもこの経験が7年後の1996年秋、スタヂオ当初からのメンバー細木真理子と小渕、瀬山、荻野の4人から成る“メイツ”結成に至る原動力となりました。
 各自、外の世界で苦労しながらも、優秀な先生方に教えを受け、キャリアを積み、しっかりと成長してくれています。私も彼等に触発され、様々に教えられる事が多く、こうして戻って踊ってくれる事を心から喜んでおります。また、心強い事にメイツ達と同期の林田直子が運営に加わってくれる事になりました。美術、コスチューム、写真、道具方に至るまでの素晴らしいスタヂオスタッフ陣と手を携えて、“メイツ”公演を支えてくれる事と思います。 
 4人に続くメンバーが育つ事を願いつつ、精一杯の活動をして参る所存です。どうぞ、格別の御理解、御支援をお願い申しあげます。 
                  メイツ代表   瀬山紀子
                  メイツメンバー   細木真理子、小渕博美
                             瀬山亜津咲、荻野千絵   
〝1989.5.14.第11回発表会より “ピノキオ” 
メイツからNPO法人BalletNoahへのあゆみ vol.Ⅰ

2007.6.21~

林田さんは、衣裳づくりのお手伝いはいいから・・・それより写真を撮っていらしてください…。」とスタヂオ初期の生徒のお母様方に言っていただいてから30年の月日が経ちました。その第1回発表会からスタヂオの生徒さんを写真で追い続けています。
 表紙写真館の《あの頃の教師たち》シリーズをみなさんに観ていただきましたが、今は教師として活躍されている先生方のステージが、私には写真とともに鮮明に思い出されます。
スタヂオで初めてお迎えしたのプロのダンサー、長瀬 信夫先生と、生徒だった細木真理子先生とで踊られた「金平糖の踊り」。
やはり、長瀬信夫先生と林田直子先生の初々しい「白のデュエット」。
そして小渕博美先生の忘れられない強烈な「黒鳥 オディール」での登場。
福島あや先生のショパンの曲の「エチュード・コンテンポラリー」は感動のあまり心臓が震えたような気がしたものです。
バレエ ノア公演では、瀬山亜津咲先生のおかしく、たのしく、感動した「ラ・フューユ・マル・ガルデ」等々。舞台へむけたカメラのシャッターの指がおもわずふるえるのを覚えました。
4月の発表会のカーテンコールでは、舞台で瀬山紀子先生を囲んで、久しぶりにゲストでいらしてくださった長瀬信夫先生や森充生先生、山本隆之先生はじめゲストダンサーのみなさん、そしてスタヂオのスターが勢ぞろいしておりました。今まですべての舞台を観ることのできた私にとっては、いままでのたくさんの思い出がよぎり、ことばにつくせない思いでした。「高崎スタヂオ バレエ公演」の舞台を撮ることのできる幸せをしみじみ感じ、瀬山紀子先生との出会いに感謝してこれからもまた「仔羊さん」たちの成長をたのしみに、進化しつづけるスタヂオと共にありたいと思っています。

2007.6.05~
第27回高崎バレエスタヂオ発表会フィナーレ
2007.04.22 於:みかぼみらい館

右側が瀬山紀子先生、左は亜津咲先生

2007.5.02~

1990年撮影

 私が育ったのは戦後です。特に裕福で幸せな家庭というわけではありませんでした。
娯楽もなく、4年生まで家にテレビもありませんでした。音楽が家族を結びつけてくれたように思います。
父はバイオリンを愛し、母は歌曲、絵画、文学の素晴らしさを教えてくれました。レコードが擦り切れるほどに繰り返し聞いた、メンデルスゾーンとチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトは、子どもながら何て素敵なんだろうと感じていました。その感動が私の感性の原点だったように思います。母からはたくさんの影響を受けました。
 お子さんを育てている親御さんにはお子さんが芸術的な感性を養う事を時間とお金の無駄だとはおもわないでほしいと望みます。競争に勝った、負けた以外のものさしを大切にする生き方もあるのです。
お子さんたちは何をも受け入れる五感をお持ちです。芸術という、人間しか創りえないかぐわしいものを注ぐ事は大切な事です。
 私はとても幸せです。結婚してよかった。3人の子どもに恵まれたのもよかった。
そして《バレエ》を仕事にした事は、恵み以外の何物でもないと思っています。
バレエが仕事で食べていけるのか?なんて言わないで欲しい。花のある人生を味わって生きていきたいと思います。
              
(亜津咲さんが)6年生のときにプロコフィエフの曲でピノキオの創作作品を上演しました。大変好評でその後何度も上演したものでしたが、最初キャスティングのときにピノキオを創ったゼペット爺さんを誰に演じてもらおうかと大変悩みました。女の子の生徒ばかりでみんないやに決まっている。仕方ない思いで亜津咲さんに頼むとその場で快諾してくれました。レッスンでも誰がどう見ようともお爺さんになりきって演じておりました。彼女の親であり、教師である自分としてはこの世界の難しさも彼女の身体的力もわかっておりましたが、そのときの彼女があったのでダンス(パフォームする世界)にPUSHしました。
身体のメカニック的には難しさがつきまとい、国立バレエスタジオの石沢先生やミツヴァテクニック、アメリア先生に助けられ現在ダンスの世界で働いています。
大変繊細で、激しく、喜びも悲しみも人の倍でハラハラしますがその感動の大きさ、感性の鋭さは羨ましい才能であると感じます。
瀬山 亜津咲先生の生徒時代(右側で横顔の方)
2007.03.15~

 小2のときから福島あやさんがスタヂオに来てくださいました。
非常に素直な感性の持ち主で、場面の状況や人の情に対してピュアな感情の移入をする方です。
ご本人の生まれつきなのかもしれませんし、愛されて育ったであろう環境のせいかもしれません。 
眠れる森の美女でヴァイオリンの少年役役だった“あやさん”が演技を終わり、舞台袖で一列のまま、姫が毒針に刺されて苦しんでいる場面を見て、ご自分を重ねるように身体を動かして一緒に動いておられました。
それは練習のたびに見られた反応で現在のあやさんのアーティストとしての原点だったと思います。
どなたも感じるであろう感情の動きが表現となっていたその場面を大変印象的に覚えています。               
       

福島 あや先生の生徒時代

2007.02.28~

 4歳になったばかりの博美さんをスタヂオでお預かりしました。 今の先生からは想像もつかないでしょうがよく泣くお子さんでした。
 あまりに泣き止まないのでだっこしてレッスンしたこともありました。 頭がよくてリズム感にすぐれ、教師の私が生徒の博美さんから感覚的な事を学んだこともありました。お休みをしたこともほとんどなかったのでいつも一緒にいたような気がします。
 エピソードといえば、ある時コンクールの前に私が何かで爆発して「ヴァリエーションを100回踊ってから帰りなさい!」といってそのまま外出してしまいました。そのときに正の字で100回を数えて踊ったという意地の持ち主です。
博美さんから「泣く子はいい生徒に育つ」がうちの教師の申し合わせになりました。
東京にでてからも、実にたくましく、賢く、Dance界にあってご自分の世界を広げて活躍しています。友人と一緒にたちあげたグループも海外公演に招かれたり実に活発に活躍されています。クラスでの教えは怖いですが、ある意味実に親切な教師です。
小渕博美先生の生徒時代

2007.02.13~

今と同じように、口数少なく、静かな生徒さんでした。
昔は(今と違って)スパルタ式のレッスンをしていました。そうした中でいつも頑張り通す方でした。
早朝5時からのパン屋さんのアルバイトを何年も続けたこともあったそうです。
派手ではなく地味にこつこつと何事もやりとおせる人が林田直子先生です。

林田直子先生の生徒時代(1981年片品合宿より)

2007.01.31~

このスタヂオでトウシューズをはいて2回転のピルエットを回れた最初の生徒さんが眞理子先生です。まじめでバレエ好きの生徒さんでした。いつのだったか・・・教室で生徒を並べて叱った事がありました。
 「あなたは何のためにバレエをやっているのか?」ひとりひとりに聞きました。生徒さんからは「心をきたえるため」とか、「我慢強くなるため」という答えがかえってきました。そのなかで「バレエが好きだからやっています」と一言きっぱりと答えた眞理子さんが強く印象に残っています。その気持ちを現在まで持ち続けている方です

2007.01.20より

高橋(旧姓:細木)眞理子先生の生徒時代(1978年第一回発表会より)